ローはまだ疎らに咲くだけの桜を見上げながら、都合良く満開とは行かないものだ、なんて思いつつ歩いていた。
それなりに感慨深かった卒業式も、家族での昼食や写真撮影も、一通り終わって、落ち着いた夕方近くの時分。
それでも制服のまま外出する姿を見て、母は着替えないのかと声をかけたけれど、ローは首を横に振った。
『この格好で遊びたい奴がいる』と話せば納得したように笑っていた。

きっと母は同級生のことを想像したのだろうが、実際は違う。
公園の入り口で足を止めたローは、茂みに頭をつっこんで何かを探している様子の少年を見つけて、ほっとしたように息をついた。
いつもここの公園で遊んでいるとは限らないから、別のところにいたらどうしようと、内心焦ってもいたのだ。

「麦わら屋」
「んー?」
ローが名前を呼ぶと、がさりと茂みが大きく揺れた。
ずぼっと音が出るような勢いで飛び出てきた頭には、ローの言うとおり”麦わら”の帽子がちょこんと乗っていた。
ローの姿を認めた麦わら屋――ルフィ――は嬉しそうに顔を綻ばせて、ローの元へ駆け寄ってきた。

「トラ男だ!」

二人が出会ったのは3年ほど前。
体調を崩して早退したローが力つきて公園のベンチで横になっているところに、ルフィがびしょ濡れのハンカチを額に置いた所から始まった。
それ以来公園の横を通る度に『とらお、とらお』と懐かれるようになって――それも悪い気分がしなかったので、ローとルフィは年が離れた友達、という関係をずっと続けていた。

ローの元に駆け寄ったルフィは、じっとその姿を見つめて、不思議そうに首を傾げた。
「今日のトラ男なんかかっけーぞ」
「バカ言え」
いつもかっこいいだろ、と言いそうになった口をローはやっとのことでつぐんだ。
ルフィ相手だとつい子供っぽい言い争いに持ち込んでしまいそうになる。
ルフィはうんうんと理由を探すようにうなってから――ぽんと両手を打った。

「そうだ! きちっと閉めてるからだ! いつもシャツでろーんってしてんのによー!」
「あーまァ……今日は卒業式、だったからな」
あんまりな理由にローは脱力した。
ルフィの言うとおり、ローはシャツを見せるように制服を着ていることが多かった。
それは自由な校風故だったのだが、まさかきっちり着こなしている方がルフィにとってかっこよくみえるだなんて。
もっと先に知っておけば、着こなしも正したのに。そんなことを考えもする。
ルフィの前では『かっこいいトラ男』でいたい、それは――ローの中にある無意識の願いだった。

一方のルフィは『卒業式』という単語を聞いて目を輝かせた。
「そつぎょーしき! トラ男ずりィぞ! おれは再来週までそつぎょーできねェんだ! さきまわりだ!」
以前ルフィは12歳になったと話していたので、小学6年生。
スケジュールの関係で少し先ではあるが、卒業式を控えている。

最初に出会ったときはまだ10歳にもなっていなくて、ほんの小さな子供だと思っていたのに。
麦わら帽子の位置だって、高くなってきていて、今日はやたらそのことを痛感させられた。
「早ェなァ……」
胸の下あたりにある頭を、帽子ごとわしゃわしゃと撫でてやると、くすぐったそうな笑い声が響く。
きゃあきゃあと色めくような声。それがひとしきり響ききって。すっと息を吐いたルフィ。

「トラ男、卒業おめでとう」
その吐息は妙に大人っぽくローの背筋を撫でた。

ぐっと、胸を掴まれるような感情。
気づいてはいけなかった気持ちが、自分の中で爆発しそうになって、ローはたまらず唇を噛んだ。

おれは麦わら屋のことが好きだ。

でも、それをルフィに伝えてどうなるというのだろう。
ルフィはまだ子供だし、ローだってこれから遠く離れた大学に通うため、引っ越しをするのだ。
妙なことを言って、ルフィの気を裂きたくない。
しかし――自分のことを覚えていて欲しい。
そんな気持ちをぐちゃぐちゃと持て余しながら、ローは自分の胸に、そっと手をやった。
ブチ、と鈍い音が手の中に籠もる。

「これをやるよ」
「んん? ボタン」
ルフィの手に落とされたのは、ローの制服の第二ボタンだった。
「お前、学ラン早く着てェつってただろ。モノはやれねェが……この服のなかで一番キラキラしたもんをやる」
「ほんとかよ! やったー! 確かにキラキラだ!」
きっとそれが何を意味するのかも知らないのだろう、陽にボタンをかざして、無邪気に喜ぶルフィの姿を見て、ローは目を細める。

もしかしたら、これが最後かもしれないのだ。
中学生になれば、ルフィだってこの公園に遊びに来ることは無くなるだろう。
ルフィはいつだって待ってくれている存在ではないのだ。
自由だから、いつかローがこの街に帰ってきて、気まぐれにこの公園を訪れたときに、そこにはもう麦わら帽子は見えないだろう。
それなら、少しでも自分の欠片を、記憶を、ルフィの手元に置いておきたい――そんな気持ちが、ローの中にはあった。

「あー! そうだ!」
「あァ?」
そんな思いで悶々としているローをよそに、ルフィは大声を上げた。
良いことを思いついた!という笑顔とともに。

「おれもトラ男と同じ学校に行ってよー、そつぎょーする時にボタン、トラ男にやる! 一番キラキラのお返しだ!」

ふっとローの心臓が浮き上がるのを感じた。
確かにルフィは自由で、好きなところに行ってしまう。ひとつところにとどまらない。
しかし――その向かう先に自分がいるかもしれない、などと――考えたこともなかった。
これから離れたとしても、ルフィの方から自分の元へ飛び込んできてくれるなんてことがあるというのか。
じわりと冷えきっていた胸が暖まっていくようだ。
まるで桜のつぼみが春の暖かさにあてられて花開くかのように、かたくなだった心が未来への希望に解けていくのを感じる。

「……そうか、じゃあ待ってねェとな」
ごくごく短かったローの返事に、ルフィは満足げにうなずいた。
「にしし!おう!待ってろよ!」

ルフィが高校を卒業するのは6年後、ローが大学を卒業するのも――同じく6年後。
夢を叶えるために大学へ行くのに、妙に寂しく感じていたその期間が――春が咲いたかのように色づいていくのを感じて、ローは柔らかく笑みを浮かべた。







END




(2016/04/24)



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