きらきらと光を反射する、朝の光。七色にかがやく、水彩の海。
 ロビンはやわらかな陽射しを探しに、甲板に続く扉に手をかけた。
 ドアノブを捻ろうとしたところで、「そういえば」と立ち止まる。
 扉の向こうからはぱらぱらと雫が降る音が聞こえている。まだ雨が降っているのなら、傘を持っていかなければ。
 ちょうど扉の前には、皆が使えるようにと透明のフィルムでできた傘が置いてあった。その傘の白い柄を持って、ロビンは扉を開き、甲板へと踏み出した。

 朝の陽射しは希望に満ちているのに、どこかさみしげな色をもって体を包み込む。
 朝は誰しもが一人であるから、太陽ですら孤独隠すことはできないのかもしれない。

(なんて、詩人にでもなったみたいだわ)

 ロビンはくすりと小さな笑いを漏らすと、雨の露が七色に反射する芝生を見渡した。

 比喩ではなく本当に七色なのだから、この海は不思議に満ちている。

 ふと上を見上げると、透明であったはずの傘が虹のようなとりどりの色に染まっている。透明なフィルムを雨垂れがうつと、さらに新たな色が広がった。まるで水彩絵の具を散らばせているかのようだ。

 この海域は【虹が降る海】と呼ばれているのだと、ナミが話していた。
 光を含んだ水滴は七色に輝きを放ち、幻想的な光景を生み出す。地面に落ちると間もなく、ほんのりと色を残した透明に変わってしまう儚さが、人を魅了してやまないとの話だ。
 こういう美しい光景を見るたびに、生きていられることが嬉しくなる。
 すこしばかり遊び心が浮かび、傘の柄をくるくると回す。そうすると飛び散った七色の雫は太陽の光を反射して、さらにきらきらと輝くのだった。

 不意に人の気配を感じて、ロビンは柄を回す手を止めた。
 あたりを見回すと、甲板に立てられたパラソル(七色の雨が皆で見られるように、フランキーが用意していた)の下に、人影が見える。
 景色に夢中で全く気が付かなかった。そんな自分がおかしくなって、ロビンはくすくすと笑いを漏らす。そのままパラソルへと足を進めると、その気配に気づいたのか人影の人物は綻ぶように笑顔を見せた。

「よぉロビン! もう起きたのかぁ?」
「おはよう。ルフィこそ、今日は早起きね」
「にっしっし! まぁな!」

 ロビンの言葉に、ルフィは誇らしそうに笑った。
 そういえば、昨日ルフィは夕ご飯を食べてすぐ眠ってしまったのだと思い至る。
 ぐうぐうと大きな音をたてて眠るルフィに「今日は夜食はいらねェみたいだな」と笑っているサンジが微笑ましかった。(結局、ルフィは寝たまま夜食を食べていたが)

 寝る時間も気ままな我らが船長は、起きる時間も気ままだ。
 時たま誰よりも早く起きて海を見つめていることもある。
 ロビンも幾度かその姿を見かけたことがあるが、そういう時のルフィは凪いだ海のように穏やかな表情を浮かべていて――何故か儚さすら感じるその横顔に、たまらない気持ちになるのだった。

 ロビンは傘をたたんでパラソルの下へ入った。ルフィの隣へと腰を下ろせば、はにかんだ視線と目があって、嬉しそうに笑い合う。

「とっても綺麗ね」
「おう! おれはこのフシギ雨気に入ったぞ!」

 二人で見上げるパラソル越しの雨は、傘と同じ透明フィルムのはずなのに、なぜだか幸福度はずっとずっと上だ。
 久しぶりに船長を独占できたことに嬉しくなって、ロビンはぎゅっと膝を抱えて、ルフィを見つめるのだった。
 
 この海域を抜けて、目指しているのは花の都と呼ばれる街。
 とりどりの花が咲く国は、常に春の晴れ模様らしい。蜜をふんだんに使ったお菓子が有名なのだと、噂に聞いた。
 島についたら、新しい本は勿論だけれど、花の苗も手に入れられるといい。
 いつも新しい島につく前はわくわくするものではあるのだが、今回はひとしおで、島につくのが待ち遠しくて仕方がない。
 この美しい光景に別れを告げるのは、名残惜しくはあるけれど――きっと、ルフィも同じ気持ちに違いない。ロビンにはその確信があった。

「この景色、きっとトラ男もすげェって言うだろうなー!」

 ルフィはごろんと寝転がったまま、夢をみるようにそう呟いた。

(ああ、きっとルフィに見えている景色は綺麗だわ)

 ロビンはそう思いなして、じんわりと胸があたたかくなるのを感じた。
 空を見上げるルフィの横顔は、いつになく優しい。
 恋の色、大人の色、そういうものをないまぜにして、しとやかささえ感じるその表情は、まるでこの雨のようだ。幸福さを詰め込んだような、横姿。

「……なんだかトラ男くんに妬いちゃうわね」
「んっ?」

 きょとんとした顔で見つめてくるルフィに、ロビンは「なんでもないわ」と手を降った。
(トラ男くんも大概幸せ者だわ)なんて、微笑ましげに笑ってみせる。離れていても、我らが船長の心を捉えて離さないだなんて、船長をこよなく愛する一味の一員としては妬ましくもある。
 
 不意に雨の匂いにまじって、じんわりとお腹の奥が暖かくなるような、良い香りが流れてきた。それを目ざとく感じ取ったのか、ルフィはがばりと勢い良く起き上がる

「メシか!?」
「本当、いい匂いがしてきたわね」

 くんくんと香りをかいで、今朝は卵料理かしらと想像を膨らませる。そういえば昨日、渡り鳥が新鮮な卵を売りに来ていたのだった。

「とりにくだー!!」
「卵よ、ルフィ」

 今にもパラソルから出ていってしまいそうなルフィに、ロビンは傘を開いた。
 ルフィが飛び出して雨に濡れてしまわないように、ぎゅっと腕を組む。そうすると、ルフィからは不思議そうな視線をなげかけられた。
 意図を測りかねているのか、きょとんとしたままのルフィに、ロビンはいたずらっぽく微笑みかけた。

「このままキッチンまでデートしましょ」
「おおー? わかった! アイアイガサってやつだな!」
「あら、知ってるのね」

 嬉しそうに笑いあって、ゆっくりと甲板を歩き始めた二人。
 パラソルよりも狭い傘から見上げる雨はさっきよりもさらに幸福で、ロビンは(トラ男くんも私に妬いてくれるかしら?)と心の中で考えた。
 見かけによらず執着心の強い彼だから、きっと嫉妬してくれるに違いない。
 不機嫌そうなローの様子を思い描いて(いつもと変わらないような気もするが)ロビンはくすくす笑った。その様子を見たルフィは不思議そうに目を開きながらも、釣られて笑みを零している。

「ルフィ、ごはんが終わったら良いものをあげるわ」
「いいもの? ってなんだ?」

 ロビンの言葉に、ルフィは首をかしげる。
 秘密だと唇に人差し指をあてるロビンに、ルフィは「えーっ」と不満げな声を漏らした。
 教えてくれと腕を引いても口を開かないロビンに、ぶうぶうと子供のように唇を尖らせる。

「豚肉かなー、あっそれとも牛肉か!? 鯨の肉もいいなー!」
「ふふっ、あとのお楽しみね」

 きっと『いいもの』を渡したら、ルフィは落胆するに違いない。
 そう思うと可哀想ではあるが――今回はルフィだけではなく【彼】へのプレゼントであるから、許して欲しい。

 嫉妬させるだけでは、いじめているみたいだから。

 今朝は存分に船長を独占して幸せだったから、そのおすそ分けをしてあげなくては――そんな殊勝な気持ちを持って、ロビンはつかの間のデートを噛み締めていた。



「いいものってこれかぁー?」
「ええ、そうよ」
「むーっ……」
 予想通り、複雑そうな表情を見せるルフィに、ロビンは吹き出した。
 『肉じゃねェじゃんか!』と文句を言いたい気持ちと、クルーからの大事なプレゼントだからと思う気持ちが、ごちゃまぜになっているのだろう。

 ルフィの頭には、ロビンから貰った『いいもの』である、赤いフヨウの花がささっていた。

 ロビンが丹念に選んだ一輪は瑞々しく花開いていて、ルフィの赤い服とおそろいに馴染んでいる。贔屓目に見ているが、ロビンからすれば『とても可愛い』と思えるような姿だ。
 ぴょこんと跳ねた髪を優しくなでつけてやりながら、ロビンはルフィに微笑みかける。

「とってもよく似合ってる、かっこいいわ」
「んー、かっこいいなら、いいけどよぉ……」

 かっこいい、とはルフィにおしゃれをさせる時の常套句だ。
 客観的に『可愛い』と思えるような服を着せるときも「かっこいい」と言えば「そうかぁ!」と納得するので、やりやすいと言ったらない。
 ナミもウソップもサンジも、ルフィ着せ替えたがる者たちは全員が使っている言葉であるし、悪意で言っているわけではないので、咎めないで欲しい。

 あとはこの寝癖をなんとかしなければ。
 デッキの上でロビンがルフィの髪型を整えてやっていると、ガシャンガシャンと大きな音をたててフランキーが階段を上がってきた。

「ルフィ! もう上陸できるぜ!」
「おおーっ! よっしゃ! 行くぞー!!」

 待ち遠しくて仕方がなかったと言わんばかりに、きらきらと目を輝かせて立ち上がるルフィ。その様子にロビンもフランキーも微笑ましげな視線を送る。
 そうしてフランキーは、親指で船の外を指しながら、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

「トラ男の奴、もう船の前まで来てるぜェ!」
「ほんとか!? おーい! トラ男ー!」

 フランキーの言葉を聞いて、ルフィは一層顔を綻ばせた。
 ぐるぐると腕を伸ばして、文字通りに飛んでいくルフィを、フランキーはサングラスを上げて見送る。
『お熱いねェ!』と豪胆に笑う姿は、まるで息子の恋路を応援する父親のようだ。

「そうしたら、私は母親ってところかしら」

 ぽつりと呟いたロビン。その言わん所を察したのか、フランキーはたしなめるように眉を上げた。

「なァーに老けこんじまってんだ!? お前はまだまだだろ?」
「あら、嬉しい言葉ね」
「そしてェー! おれもな!!」
「ふふっ、フランキーはもうダメよ」

 がぁぁん! と口を開いているフランキーをよそに、ロビンは目の前に広がる街の景色を眺めた。
 そよそよとあたたかい空気が、髪を揺らしていく、花には嬉しいであろう春の気候だ。やわらかい太陽の光は白壁に反射して、一層視界をきらきらと彩っている。

「こんなところへデートに誘うんだから、彼もロマンチストね」

 この島へ来ることになった訳。それはローに会えない日が続いて、ルフィが『トラ男に会いてェ!』と大騒ぎしたことが発端だ。
 どこにいるんだ今すぐに会いたい会いに行くからと、ルフィから電伝虫攻撃を受けたローは、その剣幕に圧倒されたのか――落ち合う島への地図とエターナルポースを送ってきたのだった。

 その行き先が、花の都。

 きっとこういう気遣いはルフィには伝わらないだろうと、一味の中では同情の声が相次いだものだ。
 細かいところは伝わらなくても、この島は綺麗だ。そのことだけはきっとルフィに伝わると思いたい。そんな風に思いなしているロビン。沈黙にある言外の意味を察したのか、フランキーはロビンを肯定するように腕を組んだ。

「まァ、ルフィはトラ男に会えて喜んでんだ。それでいいじゃあねェか」
「そうね――」

 その頷きながら、ロビンはにわかに騒がしくなっている船の外に目をやった。
 木で組まれた桟橋の上には、見慣れた帽子が目に入る。じっと想い人を待つ姿は、いじらしさまで感じさせた。

「とーらーおー!!」

 鬼哭に手かけて、ルフィを待っていたロー。
 ルフィはその体に、正しく弾丸のように飛んでいって――勢いのままローにしがみついた。ローから漏れた『ぐぅっ!』と心底苦しそうな声が、その衝撃を物語っている。

「麦わら屋! いきなり飛びついてくんなっていつも言ってるだろうが!!」
「にっしっし! だって早くトラ男んとこ行きたかったんだもんよぉー!」

 ローは顔に被さるようにしがみついているルフィを引き剥がして、激しい剣幕で怒鳴りつけた。
 しかし、ルフィはローの威圧もどこ吹く風で、それよりも久しぶりに会えたことが嬉しいのか、にこにこと笑みを浮かべている。
 反省しない様子を見て取ったのか、ローは早々に諦めて「ったく……」と小さく吐き捨てる。
(やっぱりルフィに甘いわ)と、ロビンはおかしそうに口に手をあてた。
 ルフィの満開の笑顔を見て、本気で怒り続けることができる人間など、家族以外にいやしないのだ。人たらしの笑顔は【死の外科医】にも存分に有効らしい。

 ようやく落ち着いて、はたとルフィの髪に飾られた花が目に入ったのか――ローは怪訝そうな表情を浮かべた。

「どうした、その頭」

 するするとローの体から滑り降りていたルフィは、誇らしげに腰に手をあててふんぞり返った。髪を飾っている花を、心底自慢している姿が、微笑ましく映る。

「いーだろ! ロビンにもらったんだ!」
「ニコ屋に……?」

 不意に視線を上げたローと目があって、ロビンはにこやかに手を振った。
 唇の形だけで『かわいいでしょう』と笑いかけたロビンを見てローはばつが悪そうに帽子の鍔をいじっている。その姿を見て、ロビンは(やっぱりトラ男くんも微笑ましいわね)と頬を緩ませた。

 初めて会った時はこんな表情をする人だなんて、思いもしなかったけれど。

 ルフィには人の建前の仮面を引き剥がす力があるから、きっとローの素はこっち≠セったのだろう。
 それならきっと、彼は今、仮面を外してすっきりしているに違いない。
 同じようにルフィに仮面を外してもらった、ロビン自身がそうであるのだから――

「どーだ! かっこいいだろー!」

 同意を求めてにじり寄ってくるルフィに、ローはたじろいだ。
 ロー自身も、ロビンが言うとおりに【かっこいい】というよりかは【かわいい】部類に入るのではないかと思いはするのだが――そんなことを、言えるはずもない。

「かっこいいと言うか……あー……まァ、悪くはねェんじゃねェか」

 ようやくそれだけ言葉に出したロー、それでもルフィは満足だったのか「そーだろ!」と嬉しそうに笑った。
 愛するクルーにつけてもらった花を自慢して気が済んだらしい。
 ぎゅっとローの手を握って「街の方へ行こーぜ!」と、笑いかける。
 そうして桟橋を街の方へと歩き始める二人。その背中からは「ここにくるまでになーフシギ雨見たんだぞ!」と、楽しそうに話すルフィの声が聞こえてくる。
 その後ろ姿は誰よりも幸せそうで、ロビンまでつられて、幸せな気分になるのだった。

 そうして二人を見送っていると、デッキにナミが現れた。フランキーは丁度良かったとばかりに手をあげて、ナミを呼び止める。

「おうナミ! 船についた雨を流そうと思うんだが……」

 虹の雨はほとんどが地面についたら透明になるのだが、わずかばかり色が残ってしまうのだ。
 その色がついた雨をそのままにしておくと、木材に色素が定着してしまうらしい。
 虹の雨に降られてここまで進んできたサニー号も例外ではなく、うっすらと虹色に染まっている。船大工としては早く作業をしなくてはと思うのだろう。
 しかし、ナミは手を上げてフランキーを制した。

「その作業、夕方まで待ってちょうだい」
「どうかしたの?」

 ナミの様子に、ロビンとフランキーは不思議そうに首をかしげた。
 じっと風を読むように沖を見ているナミ、その髪を風が揺らしている。その風を作り出している空気は、ほんのり湿ってきていた。
 その空気を嗅ぎ取って、これからの天気を確信したのか、ナミは二人に軽く頷いた。

「あの虹雨≠フ空気がこっちに向かってるの、この島には珍しくお天気雨になるわ!」
 ナミの予想は外れることはない、フランキーは合点がいったのか、淡い虹色にそまるサニーのマストを見上げた。
「へェ――それじゃあ、サニーを洗ってやるのはその後だなァ」
 そうして二人は、雨が降るならば甲板にもっとパラソルを立てて、宴をしようと相談を始めた。
 あれが食べたい、酒はあの酒がいいと想像を膨らませるナミとフランキーに微笑むと、ロビンはじっと目を凝らして、今は小さくなってしまったローとルフィの姿を見つめた。

「きっと二人で見られるわね」

 ぽつりと呟いた言葉は、誰に宛てるでもなかった。

 遠目からでもわかる、ぴょんぴょんと跳ねる後ろ姿は幼い無邪気さでいっぱいだ。
 しかしその奥底に、水彩が散らばるパラソルを見上げる、大人の表情があることを、ロビンは知っている。それは勿論【彼】も同じはずだろう。

 間もなく降り始めた雨にきっとルフィは喜ぶはずだ。
 そんな恋人の逢瀬を想像すると、ロビンはなぜだか幸福でしかたがなかった。
 七色の虹の雨、それは幸せすら伝染させる、恋の色を滲ませていた。







END




(2017/06/29)



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