サウザンド・サニー号の甲板には、昼下がりの陽光がきらきらときらめいていた。
みかんの葉は風にそよいで、心地の良い音を奏でている。その木陰から、ウソップは目の前に広がる芝生を眺めていた。まるで、時間がいつもよりゆっくりと流れているようだ。今朝、敵襲があったことが嘘のように思える、穏やかな光景だ。それはいつもよりふわふわしたもの≠ェ多いから、そう見えるのかもしれない。そんなことを考えながら、ウソップは芝生の上に転がる、ふたつの毛玉に目をやった。
(平和だなァ……)
ふふふ、と小さく笑い声を漏らすと、その毛玉からぴょこんと突き出た耳が、ぴくぴくと反応する。しまったと急いで口を押さえれば、耳の動きがぴたりとおさまって、ほっと胸をなでおろした。ウソップは少しばかりの安心と共に、小さく息をついた。
あぶない所だった。いくら見た目が可愛かったとしても、中身は『あいつ』なのだ。下手な反応をすれば後で何をされるかわからない。ふわふわの毛に覆われていたとしても、あの犬は、トラファルガー・ローであることに変わりはないのだから。
甲板に並ぶふたつの毛玉。その正体は、二匹の犬だった。その二匹が、寄り添うように並んで昼寝をしている様は微笑ましさすら感じる。しかし、それの中身≠ェルフィとローであるとなれば、そのような暢気なことは言っていられない。同盟始まって以来の由々しき事態のはずだったのだが――そうも深刻にならないのが、麦わらの一味の一味たる所以だった。
ふすんと大きな息を漏らして、ルフィはくりっと丸い目を開いた。ぱしぱしと瞬きを繰り返せば、濃い睫毛が揺れる。大きなあくびをひとつ。そうしてルフィは幸せな昼寝と別れを告げ、ゆっくり起き上がった。ぎゅっと両手を芝生に立てると、やわらかな草の感触がして、少し心地が良い。
ううんと唸りながら伸びをすると、背中にはぎゅっと背筋が浮き上がる。そうして丹念に準備運動をしたルフィは、隣に眠っているローの元へと擦り寄った。柔らかな感触が頬に心地よくて、自然と笑みがこぼれる。
(ふわふわだなぁ)
黒と白、モノトーンの毛並みはふさふさだ。鼻先でその毛をかき分けてみると、首の周りの白いところは良い毛布(ナミやロビンが使っているような)のようにふわふわで、背中の黒いところは少し毛がかたくてちくちくしている。その違いが可笑しくって、ルフィはもう一度ふすふすと楽しそうな息を漏らした。
(トラ男なのに犬だなんて、おかしーなぁ!)
そういって笑うと、口からは『わふぅ!』と小さな鳴き声が漏れた。楽しくなると自然にしっぽがふりふり揺れて、この体もおかしなものだ。後ろを振り向いてみれば、ふさふさとした巻きしっぽが揺れる様に、無性に体がうずうずする。飛びかかりたくて仕方がない。
「わう!」
その衝動に耐えかねて、ルフィはしっぽを追いかけてぴょんと跳び上がった。しかし、前足を跳ねた瞬間、しっぽはするりと逃げ出して、ルフィは首を傾げる。「わうぅ?」と鳴き声を漏らしてあたりを見回す。そうすると、背中の向こう側に再びふさふさ揺れるしっぽを見つけた。たまらずもう一度飛びかかる。
「わんっ!」
ぱたぱたと走り回ればしっぽは逃げ出して、その度にルフィはしっぽを追いかけた。いつのまにかくるくるとその場で回り続けている。だんだんと回る事自体が楽しくなってきて、ルフィは「わうわう!」と上機嫌な声を上げながらしっぽを追い続けた。
不意に隣から「ウルルル……」と唸る声が聞こえて、ルフィはぴたりと足を止める。横を見てみれば、眠っていたローが目をさまして、眉間にしわを寄せながら(犬でもそうとわかるとは流石だ)、ルフィのことを見ていた。
(トラ男! 起きたのかぁ!)
(それだけうるさくしてりゃあな)
そう言ってぷいと顔をそむけてしまったローに、ルフィはおや? と首を傾げた。ローの機嫌を伺うようにふすふすと鼻を慣らして、ローの背中にある、ふさふさの毛並みの匂いをかいだ。干したての布団のような匂いがして、ルフィはまた「わんっ!」と上機嫌に吠えた。それに反応するように、ローは低い声で「ワン!」と吠える。
(なんだよトラ男、機嫌悪ィなぁ)
(これでそうならねェ奴がいたら、お目にかかりてェもんだな……あァ、お前が居たか)
(にししっ! そう言われると照れちまうなぁ!)
(褒めてねェよ!)
二人にとってはいつもどおりのやり取りだが、はたから見ればそうではない。サニー号の甲板には、ルフィとローの姿はなく、白黒の大きなハスキー犬と、ふわふわとした茶色の毛並みの柴犬が戯れている光景が広がっている。麦わらの一味やハートのクルー(丁度合流したところだった)はデッキから降りては来ずに、芝生にいる二人を見守っている。そのせいで動物園の動物にでもなった気分になって、ローの機嫌は更に降下の一途をたどるのであった。妙に微笑ましげな視線がまた腹立たしい。
(別にいいじゃねェか! しばらくしたら戻るんだしよー)
(暢気だな、おれは気が気じゃねェよ)
ルフィとローは今、それぞれ悪魔の実の能力が使えない状態だ。ふたつの海賊団が合流して、多数の腕利きがいる以上、滅多なことは起きないだろうが……それでも、手足を縛られているようなもどかしさは、決して心地の良いものではない。
そもそも、どうして二人が犬になってしまったのか、今朝起こった賞金稼ぎの襲撃から、話は始まる。
襲ってきた一団は数こそ多かったものの、それほどの手練ではなかった。というよりも、ルフィやローの基準では雑魚≠ノ区分されるような輩たちだ。それぞれ輩を往なして、あらかた敵を片付け終わった、その時だった。ローは一人の男が背を向けているルフィに向かって、何やら怪しげな能力を発動しようとしているのを見つけた。
「危ねェ! 麦わら屋!」
そうやって、ルフィに向かって手を伸ばした瞬間、ローは目の前がちかちかするのを感じた。ぐわんと足元が覚束なくなって、視界がぶれるのを感じる。こんな隠し玉を持っていたとは、油断していた。反撃しようと鬼哭に手を伸ばしたが、その手は鬼哭の柄を握ることはなく、ローの目に入ったのは――妙にふわふわで短くなった自分の腕だった。
(なっ!?)
驚きで漏れた声も、人のそれではない。『グルル』と獣のようなうめき声が響いて、自分の喉が信じられない。そういえば、麦わら屋はどうなった? 急いであたりを確かめてみると、そこにルフィの姿はなく、代わりに麦わら帽子を被った茶色い柴犬が、ぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせながら転がっていた。
(あっぶねー、目がぐるぐるするぅ……)
(む、麦わら屋? なんだその格好は)
(あれェ? なんでこんなところに犬が居んだ? トラ男はどこだ?)
(な、なっ――)
言葉が出ないとはこういうことで、ローはその日初めて遠吠えと言うものをやってみせたのであった。
一味とハートのクルーが輩を締め上げて吐かせた話では、輩は悪魔の実の能力者で、触った相手を動物にしてしまう能力を持っているのだそうだ。効果が継続する時間は、術をかけた時の力の強さにもよるが、ルフィとローは丸一日は犬の姿で居なければいけないらしい。
「キャプテンは犬になってもかっこいーなー」
「そんな呑気なことを言ってる場合?」
(かわいい……)
犬になった二人を見て、目を輝かせるベポ、頭を抱えるナミ、なにやら寒気を覚えるような視線で見つめてくるロビン、反応は様々だ。結局、麦わらの一味がどうせ明日には戻るのならば、そのままでいいだろうと言い出して――二人は放置を決め込まれる羽目になったのだった。
他人事だと思いやがって、と最初は腹を立てていたローであったが、いざ犬として暮らしてみれば、意外と不自由はなかった。食事だって、サンジが二匹の舌に合うような料理を、趣向を凝らして作ってくれて、いつもより満足したぐらいだ(なにせ野郎よりも動物の方がずっとずっと好きな男だ)。困ることと言えば、ブルックがやたら美味しそうに見えることぐらいだ。ちなみにブルックは我慢ができなくなったルフィに脛をしゃぶられてから、船室に隠れてしまっている。『ルフィさんに食べられるー!』と悲鳴をあげながら逃げていく姿には心底同情したものだ。
ただ、不自由しないことと、この姿を手放しで受け入れてしまうことはイコールではない。全力でペット扱いしてくる麦わらの一味から逃れるように、ローは芝生の端に陣取り、ふて寝に近い昼寝を決め込んだ。
余談だが、ハートのクルー達は犬になったキャプテンを可愛がりたいという衝動を理性で押さえ込んでいる(ペット扱いをすれば後で怒られるのは目に見えているので)。ベポとイッカクは『キャプテンと遊びたい……』という熱心な視線を隠さず送ってきているが、それだけだ。ローはその様子を横目で見て、今度財宝の山分けを奮発してやろう、と心に決めた。
一方のルフィは、能天気に犬生活を満喫している様子だ。サンジの料理をたらふく食べて、チョッパーと遊び、ロビンに風呂に入れてもらい(これは嫌がっている様子だった)、ウソップにはブラッシングをしてもらっていた。フランキーは犬小屋を作ろうとしたが、一日しか使わないという理由でナミに却下されたらしい。いつも船長バカな麦わらの一味だが、ルフィが犬になったことで、大手を振って可愛がれると羽目を外しているのだった。あのゾロでさえ「敵の術にはまるなんざ情けねェ」と言いつつ、ルフィの顎の下をわしゃわしゃ撫でている。
ブラッシングを終えてぴかぴかになったルフィは、ようやく一味の可愛がりから逃れて、自由に甲板を散歩し始めた。甲板を吹き抜ける風を受けると、毛並みがそよそよと揺れてくすぐったい。いつもは草履を履いているから、裸足(というより肉球で)で芝生を歩くのがこんなに気持ちいいだなんて思いもしなかった。犬になるのも楽しいもんだなァ、なんて思いながら、たしたしと前足で芝生のやわらかさを確かめる。このまま穴を掘ってみたい衝動に駆られるが、フランキーに怒られるだろうか、きっと『仕方ねェなァ』なんて笑いつつ、あとで芝生を張り替えてくれるに違いない。
いつでも一味のみんなが大好きなルフィだが、今日は特別いとおしい気持ちになってしょうがなかった。嬉しくなって「わうう!」と声をあげると、ロビンと目があって、微笑ましげに笑顔をみせてくれる。そうすると、一層嬉しくなって、おしりの巻きしっぽがぶんぶん搖れて止まらなかった。
不意に視界の端に白黒のもこもこが目に入り、ルフィは足を止めた。芝生の片隅に視線をやれば、大きなハスキー犬になったローが、丸くなって昼寝をしている。ルフィはしっぽをぶんぶん振りながら、ローの方へ歩いていった。
(トラ男ー! 寝てんのかぁ?)
(……寝てるとわかってんなら、起こすんじゃねェ)
ローは瞼を開けると、不機嫌そうにルフィを睨みつけた。それでも本気で怒らないところは、ローの甘いところである。ルフィは(にっしっしっし!)とおかしそうに笑うと、ローに擦り寄ってその場に腰を下ろした。大きなあくびをしながらもう一度顎を芝生に置くローを、くりくりとした瞳で見つめる。
(なんだよトラ男ぉ、また寝ちまうのか?)
(こんな状況、寝て時間が過ぎるのを待つしかねェだろ)
(なんだよー、つまんねェ! おれと遊べよー!)
(うるせェ、お前も寝ろ!)
(わっ!)
ぎゅっとローの頭で抑え込まれて、ルフィは芝生に顎をついた。抗議するようにふすふす鼻を鳴らしたが、ローは聞き入れてくれない。そのまま眠りについてしまったローの様子に、ルフィは不満げに頬を膨らませた。諦めたようにしっぽがぺたんと地面につく。犬の生活も悪くないというのに、楽しまないなんて何事だろう。そんな風に怒ってみるものの、ローに頭を押さえられて動けずに居たら、だんだん眠くなってくるのがルフィの単純なところだ。ルフィは「くぅん」と小さく鳴いてから、ゆっくりとまるい目を閉じた。
甲板にふりそそぐ日差しは、眩しいけれどあたたかい。それに加えて、ローのふさふさの毛並みに包まれているとなれば、幸せな夢を見ないわけにはいかなかった。ルフィは夢の中でもローにだっこされながら、すやすや眠っていたのだった。
そうして話は冒頭へと巻き戻る。
目をさましてじゃれ合い始めた二匹を、ウソップは微笑ましげに見つめていた。気がつけば隣にはナミが立っていて、手すりに肘をついて芝生の様子を眺めている。はじめこそ頭を抱えていたナミだが、今の視線は優しいものだ。
「ああしてれば可愛いものね」
「ああー! 動物を愛でるナミすわぁんも素敵さっ」
「麦わら、キャプテンと遊べていいなぁ」
「一回ぐらい、あのキャプテンに触ってみたいよなぁ」
「おいおい……」
乱入してきた仲間たちに、ウソップは苦笑いを浮かべる。ナミやサンジはともかくとして、シャチやペンギンまで熱心に自分たちのキャプテンを見つめている。なんだかんだうちとハートの海賊団は似た者同士なのかもしれない。そもそも白くまが航海士である時点で、ハートのクルーが動物嫌いであるわけがないのだ。
ウソップがもう一度芝生に目をやると、起き出した二匹は楽しそうに(と言うよりかは、ルフィが一方的に)じゃれあいを続けていた。お互いに「わんわん!」と鳴き声をかけあっていて、まるで会話をしているように見える。いや、もしかしたら二人は犬語を話していて、言葉は通じ合っているのかもしれない。そうしたらきっといつも通りトラ男はルフィに怒っているんだろうな、なんて考えると、可笑しくて微笑ましくて仕方がなかった。
そんな視線には気づきもせず、ルフィとローは追いかけっこを続けている。ルフィは「わうわう!」と楽しそうな声を上げながら、ローから逃げ回っていた。しかしローは大型犬で、ルフィとはコンパスが違う。すぐに追いつかれてしまって、ぎゅっと体で抑え込まれる。しかし、それすらもルフィにとっては遊びの一部でしかない。ルフィはくるりと仰向けに転がると、ふわふわの白いおなかをローに見せて、身をよじるのだった。
わしゃわしゃと鼻先でルフィのおなかをかき分けると、ローはふすんと鼻を慣らして、再び芝生の上に寝転がった。その様子を見たルフィは、あれ? と不思議そうに首を傾げる。今まで遊んでいたと言うのに、どうしたのだろう?
(なんだよトラ男、もっと遊ぼうぜ!)
(今遊んでやっただろ)
(なにぃ! お前、やっつけで遊んでたな!?)
(おれはこれでも譲歩してやってんだぞ!)
未だ不満げなルフィの物言いに、ローは(文字通りに)吠えた。遊べ遊べとうるさいから、仕方なく付き合ってやったというのに、やっつけとは何事だろう。大概ルフィに甘いローだが、甘やかせど甘やかせどルフィは駄々っ子のように振る舞うので始末が悪い。
(ほら、お前もちょっとは休め)
(むー……)
ローのふわふわした前足で隣を示されて、ルフィはようやく諦めた様子だ。ローのそばに寄って芝生に寝転がると、ぺたんとしっぽごと平たくなる。それを横目で見て、ローはようやく息をついた。
(ったく、なにがそんなに楽しいんだか)
(楽しいだろ? おれは犬もいいと思うぞ!)
(気が知れねェ……)
深くため息をついたローをよそに、ルフィは平べったくなったまま、ふりふりとしっぽを振った。また「わふわふ!」と楽しそうな鳴き声が口から漏れている。そのさまを見て、ローはふぅ、ともう一度ため息を漏らした。
ルフィは、ローも一緒に犬になったことが嬉しくて仕方がなかった。大体ルフィはローのことが相手の想像以上に好きなので、何事もローが一緒であれば機嫌を損ねることはない。特に動物を可愛がる趣味はないルフィだが(ルフィにとってはたいていの動物は食料なのだ)犬になったローはかっこいいし、可愛いと感じている。そもそもローが人間の姿をしているときから、そう思っているのだが――
ローだって柴犬になったルフィのことを可愛いと思っている。もともとローは(本人には全く自覚はないが)可愛いものが好きなのだ。年下の恋人であるルフィのことも、なんだかんだ可愛いと思っているし、そのルフィがもふもふの柴犬になっているとなれば、なおさら可愛く思えて仕方がない。これで、ローが犬になってさえいなければ、きっとルフィのことをいつも以上に甘やかしていたに違いない。しかし、油断して自分まで敵の能力を食らってしまったことは体面が悪く、どうしても素直になれなかった。
ただ、しっぽの動きだけはごまかせないらしい……ローのしっぽもぱたぱたと搖れていて、周りの仲間達には余計に微笑ましく映るのだった。
そんなローの様子を知ってか知らずか、ルフィはすりすりとローの顔に頬をすりよせる。ふわふわとこすれる毛並みがくすぐったくて、ローは照れを隠すように低く唸る。咎めるような声色だったが、ルフィはお構いなしだ。流石に気恥ずかしくなってきて、ローはぷいと顔を背けてしまう。
(なんだよトラ男ー逃げるなよな!)
(お前……なんでそんなに寄ってくるんだ)
呆れたように呟くローの横顔に、ルフィはまた鼻先を突っ込んだ。ふすふすと鼻を鳴らして、いっぱいに空気を吸い込んでいる。その様子はいつになく上機嫌だ。
(だってよぉー、トラ男からすっげぇいいにおいがするんだ!)
(匂い?)
意外な答えにローは目を瞬かせた。ルフィの言葉を確かめるように、二の腕(というよりも前足だ)をかいでみるが、何も感じない。ふと思い立って、ルフィの頬と首の間、毛がふさふさした部分に鼻先でかきわけてみると――ルフィの言いたいことをようやく理解できた。
さっき風呂に入ったばかりのルフィは、ボディシャンプーのせいか花の香りがする。きっとロビンが、自分も使っている上等のもので洗ってくれたに違いない。それに、太陽にあたっていたせいか、干した布団のような、ぽかぽかとしたおひさまの匂い≠烽キる。確かに、ふかふかの毛の中にたっぷりといい匂いを包み込んでいるのだが……ローが感じ取った匂いはそれだけではなかった。
もっと本能的なところで嗅いでいたいと思うようないい匂い、言うならば『フェロモン』のようなものを鼻先に感じ取って、ローは成る程と納得した。ルフィはこの匂いをローに対して感じ取って、やたらとすりよってきていたのだろう。
確かにこの匂いは魅惑的だ。ローはくんくんと鼻を鳴らしながら、ルフィの体を鼻先でなで回った。くすぐったいのか、ルフィはおかしそうに笑い声を上げて、ごろんとお腹を見せてひっくり返った。
(あひゃひゃっ! くすぐってェよ!)
(お前だってさっきおれにしてただろ)
ローはたしなめるように唸って、がぶりとルフィの頭を甘噛みした。そうするとルフィは一層おかしそうな笑い声をあげて「たべられちまうー!」なんて、冗談めかして吠えてみせる。その様子に、ローも少しだけ笑いを漏らした。
しかし、やたらとルフィがまとわりついてくる理由が、フェロモンを感じ取っていたからだったとは。くんと改めてルフィの匂いをかいでみると、やはり本能に直結してしまうかのような、良い匂いを感じる。無邪気な振る舞いの奥に隠されていた本当の意味に、ローは少しだけ気恥ずかしさを覚えた。
(ったく……てめェはとんでもねぇエロガキだな)
(なんだよー、トラ男がいい匂いして、やらしーのがいけねェんじゃんか!)
揶揄するような物言いにも、ルフィはあっけらかんとして返事をする。悪びれないその様子に、こいつはそういう奴だったと、ローは諦めたかのようにため息をついた。もう一度その場に座り込むと、後を追うようにルフィも隣に寄り添ってくる。
(ハァ、犬になってなけりゃあ、ベッドに連れ込むところだが……)
(なんだよ、犬じゃだめなのか?)
(だめだろ)
(わっ)
ルフィの気をそらすかのように、ローはべろりとルフィの顔をなめた。本当は(これ以上アブノーマルになってどうするんだ)と返事をしようとしたのだが、(あぶのーまるってなんだ?)と突っ込まれでもしたら、始末が悪い。しかし、ルフィは存外ローの気のそらし方が気に入ったようで、嬉しそうに「わん!」と吠えた。そうしてお返しだとばかりに、ローの横顔をぺろぺろと舐める。
(こら、べたべたするんじゃねェよ)
(トラ男からやってきたんじゃんか!)
そういって何度も顔を舐めてくるルフィに、ローはたまらず逃げ出した。ばたばたと芝生を走れば、ゆれているローのしっぽを、ルフィは目を輝かせて追いかけはじめる。
甲板を逃げ回っていると、不意にデッキからこちらを眺めている一味とクルー達が目に入った。「仲が良いなぁ」なんて話をしながら微笑ましげに見つめてくる視線に、ローは少しばかりばつの悪い思いをする。
そういえば自分たちのやり取りは全部こいつらに見られていたのだった。さっきなんてやたらと甘い空気が流れていたし、ベッドに連れ込むなんて話もしてしまった。それを全てクルーの前でやっていたなんて、穴があいていたら入りたい気分だ。(芝生に穴を掘ったら、ロボ屋は怒るだろうか?)なんて考えてしまう。
「わふうっ!」
そんな余計なことを考えていたら、後ろから飛びついてきたルフィに捕まってしまった。なんとか体の下から抜け出し、ばたばたと暴れるルフィを前足で押さえつける。「わんわん」と不服そうな鳴き声を上げるルフィに、ローは小さくため息をついた。
まぁ、外に聞こえているのがこの鳴き声≠セけならば、特に気にすることもないだろう。大方いつも通り、ルフィにせっつかれて、仕方なく遊んでやっているように見えるに違いない。だれもおれたちの気持ちは、わかりはしないのだから。
そう自分に言い聞かせて、ローは再び芝生の上を走り始めた。このときのローは、完全に忘れてしまっていたのだ。とても重要なことを。
「んん? なんで犬じゃだめなんだ?」
「キャプテン! ハレンチだよー!」
不思議そうに首をかしげるチョッパーに、きゃあと悲鳴を上げながら恥ずかしそうに顔を覆い隠すベポ、犬の言葉がわかる者がふたりもいることに、気づきもしなかった。
このふたりを特段かわいがっているローにとっては、ただ二匹の犬が走りまわって終わるだけのほうが幸せであるだろうから――この話は、そうやって幕を下ろす。
END
(2017/06/18)
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